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努力の行く末

 想像していただきたい。「人は努力だけで成功できるか?」と尋ねられたならば、あなたはどう答えるだろうか。答えは人により様々であるだろうし、単純にYES、NOで答えられる問題でもない。
 努力家とは何であるかを考えてみよう。努力家には2種類ある。即ち、「努力する努力家」と「努力しない努力家」である。そして成功する努力家はほぼ例外なく後者である。然しながら後者はある意味では最も努力している。それでいて後者は、努力をより少なくしようとする「真の努力家である」。
  さて、ここで次のような例え話がある。車に乗って目的地に向かうとしよう。最初にすることは何であろうか。当然ながら目的地の確認である。地図を見て経路を考え、そして出発する。いきなりアクセルを全力で踏む人間はまず居ないだろう。そんな人間はいつまでたっても目的地に到達できない。誰にでもわかる話である。
 これは例え話に過ぎないが、現実世界では気付かぬうちに同様の間違いに陥る人間があまりに多すぎる。努力する努力家はこのような落とし穴に嵌っていることに全く気がつかない。ただアクセルを全力で踏むだけで、ハンドルの操作を知らない。それどころかガソリンを浪費することで努力しているという快感を得ている。永遠に目的地にたどり着くことは無い。まさに愚かさの極みであり、努力の浪費家と呼ばざるを得ない。
 努力とは目標に向かうことである。目的地に向かって進むことである。がむしゃらに前進することを努力と呼ぶのならば、努力家は世に必要ない。重要なことはどれだけ到達目標に近づいたか、ただそれだけである。どれだけのエネルギーを消費したのか、それは全くもって重要ではない。それどころか、消費量は少なければ少ないほどよいのである。疲れるために努力するのは馬鹿げた行為としか言えない。
  努力する努力家は努力浪費家である。努力しない努力家は目的に向かおうとする真の努力家である。真の努力家は一見、努力していないように見えるだけである。それでいて、常に目的に向かうことを考えている。片時もその思考を排除することは無い。それ故に最も効率よく目的地に辿り着く。努力浪費家はガソリンを買う事に金を使う。真の努力家は燃費効率を上げることに投資する。そこに決定的な違いがある。
 努力浪費家であるよりも、真の努力家であることは遥かに楽である筈だ。努力浪費家が目まぐるしく走り回って疲弊していく傍で、真の努力家は歩きながらにして、最も早く目的地に辿り着く。それは日常における不断の思考実験の成せる業であり、それは目的に向かうために不可欠なのである。そして彼は目的地に辿り着いても全く呼吸を乱すことは無く、次の目的地へと向かう。

 



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